人生や日常生活でヘコんだとき                                     >Home

私のまわりであったこと

私の友人や知り合いから聞いたり、相談を受けたりした話です。

思春期にかかりやすい病気−神経性食指不振症

中学、高校と一緒だった友人Aさんが、高校3年になったころ、突如入院することになりました。
病院の診断は「神経性食指不振症」というものでしたが、当時の私にはそれがどんなことが原因で、
どういう症状を引き起こすのか詳しい知識もありませんでした。
ただ、お見舞いに行くと喜んでくれる彼女を見ていて、自分が行くことで元気になれるなら・・と思い、
頻繁に病院に通うようになりました。というのも、入院は長期に渡ったからです。
今考えると、当時の彼女はいわゆる「拒食症」というものだったのでしょうか。痩せていって、体重が
危険ラインまで落ち込んでしまい、それで入院となったようです。
原因を私が推測することは難しいのですが、担任の先生いわく「受験戦争の被害者」ということでした。
彼女は、なぜかアイスクリームを私にリクエストしました。私は、学校帰りに駅のサーティワンで詰め合わせを
買い、病院へ持っていったものです。
やがて、彼女の体重もある程度まで戻ったようで、無事に退院となり、学校にも復帰できました。
卒業後は、会うことも連絡を取ることもほとんどなかったのですが、数年たって地元で偶然に再会したのです。
彼女は市大病院で働いているということでした。
その話を聞いて、巡り会わせとでもいうか、心がとても温まるのを感じました。
自分の経験を糧に人生の道を選んだ彼女はとても輝いて見えました。


今では珍しくない症状−躁うつ病

さまざまなストレスやプレッシャーと戦わなくてはいけない現代では、ふとしたことで心のバランスが崩れて
症状の進行した病にかかってしまう人も多くいます。
Bさんは、かつての部下でした。
なにごとにもひたむきに取り組む彼は、責任感も強く真面目な性格です。
そんな彼に期待感をこめて、ある時業務分担を変更し、より多くのことを見てもらえるようなマネージャー的
仕事をやってもらうことにしました。
ところが、ちょうど忙しい時期と重なったこともあり、その真面目さゆえになんとかこなそうともがき苦しむうちに、
心のバランスが崩れてしまったのか躁うつ症状が見られるようになって来ました。
当時は海外勤務でしたので、気軽に心療内科に寄るということもままならず、そのうちに症状も進行していき、
ついには業務に耐えうる状態ではなくなり、日本へ帰国して治療に専念することになりました。

彼がこのような症状に苦しむようになったのは、私の業務上の指示がきっかけであったことは明確でしたので、
私自身も抱えきれないほどの責任を感じていましたし、ひたすら日本での治療の成功を祈るばかりでした。
このような病は、治療に相当長い年月を必要とするのは理解していましたので、私もその覚悟でいました。

彼が帰国し、会社を休業しながら治療に取り組んでいる最中、私の方も転職することになり、やがて彼も会社を
やめることになりました。お互い、上司、部下という関係ではなくなりましたが、友人同士としての付き合いが始まりました。

彼が帰国して2年ほどたったころでしょうか。かなり久しぶりに彼からメールが来ました。
仕事のことで相談にのってほしいので会いたい、という内容です。
久しぶりに会う彼がどんな状態になっているのか、不安半分、期待半分でしたが、なんと彼の病は完治していたのです。
自分自身、様子を見ながらアルバイトをしてきたそうですが、もう問題ないのでフルタイムの定職につこうと
していました。そこで、自分の適性はどんなもんだろうと客観的な意見を聞きたいので、というわけだったのです。
彼の言うとおり、話をしていてもまったく違和感はありませんし、なにより以前の元気な彼の姿がそこにあり、
大いに感激しました。
5年、10年かかるものだと思っていましたので、あまりに早い成果にこちらが驚いてしまいました。


その後、彼からは某企業に就職したという知らせが届きました。
私は、かれの復活の過程においてはなにもできませんでしたが、彼は自らの意志と力で克服してきました。
(かれは処方薬による治療を断って自力でがんばったのです)
これからの彼の人生が素晴らしいものになるよう祈りたいです。



なんにつけうまくいかない−神頼みは必要?

私の知り合いに何人かいます、厄払いに行った方がいいんじゃないかと思う人が。
実際に厄払いに行った人もいます。

仕事上でお付き合いのあったある方の場合。
旅行をアレンジする仕事だったのですが、普通はそんなにトラブルやイレギュラーには巻き込まれたりしません。
ところが、その方が担当する案件では、出発前やら旅行中やらに外的要因によるトラブルが相次ぎ、おまけに
ご自身が楽しみに出かけた海外旅行では台風にあたり・・と散々な目に遭われていました。
最初はまだいいのですが、度重なると慰める言葉もなくなり、やむなく「お祓いに行きましょう」とアドバイス
したものです。

逆に、おめでたい話も。
こちらも仕事上でお付き合いのあったある方の話。
朝一番で一緒にお仕事をさせていただいたあと、午後の約束まで時間があったので、私用で行く予定だった
明治神宮に付き合ってもらいました。
私は、海外にいる知人が新たに会社を興したので、商売繁盛のお札をもらいに行こうとしていたのですが、
彼女は明治神宮には行ったことがないそうで、散歩がてら同行していただきました。
さすが明治神宮、厳かな雰囲気の中で神事も終わり、お札をいただくことができました。
その方が、何を祈願されたのかは特に聞いていませんでしたが。

と、ずいぶんたったころ、その方のご懐妊の知らせが届きました。
明治神宮の御利益バッチリとの報告に、神頼みの効果をひしひしと実感!
その方は、長らく不妊に悩み、努力してこられていたのでした。

自分ではどうしようもできないことも世の中には多々ありますし、そんなことが続くと我が身の不運さを
嘆きたくもなります。
都合のいい時だけの神頼みなどといわれますが、自分自身の気分転換を図るためにも、そういった
非日常を経験することはとても役立つと思います。

私も、「大器晩成型」といわれた占いをよりどころにしている一人の人間ですが・・



3年目がつらい?子供の友人はウェルカムか?

子供を亡くした親の気持ちというのは、当事者同士にしか分かり合えないのかもしれません。
それゆえ、周りの人間はどう振舞えばいいのか、時に戸惑うこともあります。

10代後半のお子さんを亡くされた親御さんがいらっしゃいました。
とても友達に慕われていたお子さんであったようで、亡くなられたあとも友人たちがお線香をあげに、
よく寄ってくれたそうです。

とある日、いつものようにお子さんの友人たちが家へ寄ってくれました。
ところが、その日に限って、お母さんが「あなたたちはこんなに元気なのに、どうしてうちの子だけ・・」
と泣き崩れてしまったそうです。
友人たちもまるで自分たちが責められているようでいたたまれなかったのと、お母さんのことも心配で、
こういうときはいったいどうしたらいいんだろう・・と、同じ境遇である私の母にアドバイスを求めました。
亡くなられてから3年が経とうとしていたころのことだったそうです。

子供を亡くした心の空洞は、おそらく一生ついてまわるものでしょう。
ふとしたときに、堰をきったようにあふれ出てしまうのも、無理からぬことかもしれません。

私の母曰く、「3年目がとくにつらかった」のだそうです。
1,2年目は法要や片付けなど物理的な忙しさもあって紛れているのだけれど、3年目に突然くる・・
それは、ボーっとしてなにもやる気が起こらない、琴線にふれることが多くなる、というような
ものであったとのこと。
どうやら、だれしも乗り越えなければならない山であるようです。

親の立場からして、子供の友人たちが家に寄ってくれるのはとてもうれしい、心強いことであるに違いありません。
一時的には、精神が弱くなって気丈に振舞えない時期もあるでしょう。
周りにいる人々は、そういった事情を汲んであげて、温かく見守る時期、元気づけてあげる時期と
気遣いをもった対応が出来れば、いうことはありません。
さらに長い時間が経てば、まるで本当の友人たちのように親御さんとも交流できるようになるでしょう。

気まずくなったからといって、足が遠のいて疎遠になってしまうのは、なんとも残念なことです。
周りの人々も、長い目で見守ってあげることができればよいですね。