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転職のきっかけは?

世の中には、一つの会社を定年まで勤め上げた方もいらっしゃれば、私のように転職を重ねた者もいます。
ビジネスの世界においての大きな出来事、関心事といえば、この「転職」ですね。

漠然と今の会社に不満を抱いていて転職願望を持っている方、最初から起業の夢を温めている方など、
状況はいろいろあると思います。
ここでは、私自身のストーリーをご紹介したいと思います。

旅行業界一筋でした

大卒で就職してから、転職を重ねたものの、縁あって旅行業界に長らく籍を置いていました。
私の就職した年は
最後の売り手市場といわれたころで、一人の学生がいくつも内定をもらって当たり前の
ころでした。私は、ふとしたきっかけで大学3年のころから旅行業界に興味を持つようになり、就職活動はほぼ
旅行業界1本に絞っていました。


4大卒男性というと、当時は旅行会社に入るとほとんどが、法人営業、修学旅行担当などのいわゆる外回り業務に
つかされます。私のイメージする旅行業とは、カウンター越しの接客という絵でしたので、それができる会社は
ないものかと探していました。
そこに、偶然、学部の先輩が行っている、Aという小さな旅行会社を見つけたのです。
幸いにも内定をいただくことができ、両親の反対を押し切って就職しました。
両親からすると、旅行会社といえばJTBや地元の名鉄観光といったところが順当なわけで、そんな名前も聞いた
ことのないような会社へなぜ行くんだ!とずいぶん責められました。
当時から私としては、会社のネームバリューや規模ではなく、「そこでなにができるのか」を重視していたんだと
思います。


入ってからわかったことですが、旅行業界は聞きしに勝る労働集約的産業でした。
猛烈に働くのです。毎日、終電との戦いで、会社から終電めがけてダッシュの日々が、当たり前のように続きました。
当時、50人の社員の会社に、新人が50人入社というとんでもない構成だったこともあり、
業務は熾烈をきわめました。


この時代の経験が、後の自分の体力とかタフさ、仕事への姿勢に大きな影響を及ぼしていることは間違いありません。

営業成績は決してよいほうではなかったので、程なくして管理部門へと異動しました。ところが、そこが自分には
うってつけの職場だったのです。小さな会社でしたので管理部門も少人数しかいません。それでいて営業以外の
全職種をカバーするわけです。人事、総務、経理、経営管理、秘書、システム・・いわゆる何でも屋ですね。仕事は、
ますます熾烈を極めましたが、大変やりがいのあるものでした。会社に3泊4日するようなこともあり、冗談で
「香港いけるね」なんて笑いあった時もあります。

そんな会社を転職しようと思ったきっかけは、「評価の公平性」でした。入社して3年半ごろのことです。
夏の賞与の評価が、非営業部門だということで決して満足のいくものではありませんでした。
まだ25歳ごろですから、今から振り返ると客観的な冷静な目をもっていたかどうか怪しいものですが、
当時は、「これだけやっているのにどうしてこんな評価しかもらえないんだろう」と自問自答しました。
「利益を生み出さない非営業部門だからだ」と自分なりに結論を出したのです。
そこで、もっと自分を評価してもらえるチャンスのあるところへ移りたいと思い、当時お付き合いのあったBという
旅行会社への転職を決めました。

B社は、いわゆるお客さんに直接旅行を販売する小売ではなく、旅行会社に対して旅行素材を卸す会社でした。

相手は旅行会社のプロの方々ですから、より専門知識が求められました。
世界中の素材をさばくのではなく、限られた方面の専門店でしたので、わりとすんなり入っていくことができました。
名古屋支店に5年在籍した後に、海外支店へと転勤になりました。
海外へ赴任して3年目のころ、ふとしたきっかけで転職の時がやってきました。
この転職話は、決して気持ちよく進んだものではなかっただけに、自分の人生にも暗い影を投げかけました。
聞こえのよい言葉で言えば、「正義感」「責任感」「筋」を貫いた結果、退職の道を選んだということになります。

この海外勤務時代には、つらい苦しいことも多々ありましたが、得るものも大変多くありました。
組織や小さな村社会の中で生きていくための術、自分を支えてくれる温かい人たちの存在、そのいずれもが
残念ながら退職を決意した後になってはじめて理解できたのです。
もっと要領よく、波に流されて進んでいく道もあったとは思うのですが、どうしてもそうはできませんでした。


退職後帰国して、これからの進路を考え始めました。
家族を抱えていましたので、きままにプー太郎というわけにはいきませんでした。

とはいえ、これまでの経験から会社組織でやっていくのはおそらく自分には向いていないであろうこと、
旅行業界という薄利なビジネスは将来的にしんどいであろうことなどを考え、旅行業からは離れて、
起業の道を探りました。

私の実家は家業で工作機械商社を営んでいます。父の代から始めたものです。
父の才覚とお客さんに恵まれたこともあり、業績は順調に推移しているようでした。
私は長男ですので、家業を継ぐという道もあったのですが、文系旅行一筋の私には機械系の世界がなじめるよう
には思えず、常に距離を置いてきました。ですので、今回も実家への就職はあまり考えておりませんでした。

起業の道を探っていく中で、偶然A社のころお付き合いのあった取引先の方からご連絡いただき、
インターネットを使った新しいやり方の旅行ビジネスへのお誘いを受けました。
従来にない新しいモデルの旅行ビジネスで、起業の傍ら副業として取り組んでいくには格好のものだと
思い、話を進めていきました。
そのうち、事情により1事業部形式でやるのではなく、子会社を作るので当初はその立ち上げメンバーに入って
ほしい、と打診をうけ、半年程度の創業手伝いの予定でC社に入社することになったのです。
レールを敷いたら身を引いて、かねてからの起業アイデアを進めるつもりでいたのです。

ところが、このC社は想像を超えるスピードで進化を続ける活気あるベンチャー企業として、どんどんスピードアップ
して走り始めたのです。その中心にいる自分たちが原動力となっていたわけで、インターネット世界のスピードの速さ、
企業を経営していくということの大変さ、多くの人たちを管理していくというしんどさ、楽しさといった、以前とは違った
充実感、やりがいをひしひし実感しながら業務に没頭していました。
そして、最初の半年程度というのはどこへやら、期間はどんどん伸びいつしか2年半がたとうとしていました。

この間、家族を名古屋に残して東京へ単身赴任でしたので、会社も便宜を図ってくれて、少しは名古屋で仕事が
できるような環境を作ろうとしてくれていました。
C社では取締役という立場でしたので、会社の意思決定にかかわることになります。とりわけ、ベンチャー企業に
おいてはスピード感が重視されますし、なにげない雑談の中からアイデアが生まれることもしばしばあります。
企業が成長し、業容が濃くなればなるほどコミュニケーションは重要になるのですが、私の単身赴任という個人的な
事情からそのコミュニケーションに支障をきたし、それが思わぬ事態を引き起こすことになってしまいました。
ある時、トップダウンで、人員整理を伴う会社の方針の大転換という大ナタが振るわれたのです。
そこにいたる環境を作り上げてしまったのには、私の影響も相当大きなものがありましたので、私も深刻に受け止め
ました。ましてや、整理の対象となったのは、私の管轄のプロジェクトでしたし、解雇対象も私の部下でしたから。

東京、名古屋を行ったり来たりの中途半端な状態が招いた結果であること、人員整理を伴っていること、ベンチャー
企業への単身赴任での参加ということで毎月少なからぬ持ち出しを続けていたこと、成功するまでにはもう少し時間が
必要なこと等を考え合わせ、この機に役員を退くことをきめました。

こうして、東京→名古屋→海外→東京と続いてきた旅行ビジネスとも別れを告げ、2006年の4月から、心機一転、
頭を下げて父の家業の勉強を始めさせてもらうことにしました。

A社では、仕事に取り組む姿勢、旅行販売の基礎知識、非営業部門全般の仕事を大いに学ばせてもらいました。
B社では、旅行業界との人脈、海外勤務、人的処世術、マネジメントを大いに学ばせてもらいました。
C社では、企業経営のノウハウ、IT関連知識を大いに学ばせてもらいました。
まったく異業種の家業に、今までの経験の生かせる部分をうまく取り込みながら、自分の人間としての幅を広げ、
心の豊かさを追い求めていこうと考えています。