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世界史を学ぶ

高校2年生のときに、選択授業で世界史を選びました。
そのときは、「ただなんとなく」という、かなりいい加減な理由でしたが、先生の授業がとても面白かったので、選んで正解!
(そのこととテストの成績が比例しないのがつらいところです)

当時の先生は、ありがちな教科書にそって読んでいくだけのスタイルではなく、まるで自分が見てきたかのように
臨場感あふれる口調でまさに「語って」くれたのです。
私もノートなどとらず、その語りに聞きほれていたのでテストは出来なかった・・というのは苦しい言い訳でしょうか。

その後は、世界史は単なる「受験」のための存在でした。
社会人になってからも、とくに思い出すこともなく時が過ぎていきましたが、ある本がきっかけで意識がガラリとかわりました。
それは、塩野七生さんの「コンスタンティノープルの陥落」と「海の都の物語」でした。
古代ヨーロッパを舞台にした小説で、特にイタリア(ローマ)にスポットがあてられています。
塩野七生さんは、イタリアの永住権をお持ちで、ローマ在住ながら作家活動を精力的に続けていらっしゃり、
その後の大作「ローマ人の物語」でなんと15巻にもわたり、古代ローマの盛衰を描いています。

塩野さんの筆さばきは軽快で、読み手には大変心地よいものです。
史実を厳密に検証する代わりに、彼女が感情移入して推論をつなげていくのも面白いですし、
あまり興味のなかった多くの読者を、ローマの世界に引きずりこんだ功績は大だと思います。

彼女の著作に触発されて、私は世界史にのめりこんでいくようになりました。
すると、今まであまり気にもしていなかったことに気付かされました。

たとえば、古代ローマ帝国において、共和国政や帝政といった高度に発達した政治システムが機能し、
文化が花開き、人々が快楽を享受しているまさにその時代に、日本はまだ農耕社会にも至っていない
狩猟生活を送っていたとか、中国では戦いに明け暮れていたとか、地域によってその様子が全く違っているのです。

これには、大きな衝撃を受けました。
それほどの昔から高度な文明社会を築き上げていた証を、今我々は遺跡という形で見ることが出来るのです。

私は、ローマへの旅で遺跡めぐりをしたこともあります。
しかし、それはまだ世界史に興味を抱く前のことでした。
もし、今再び訪れることが出来るのなら、まったく違う視点で見ることが出来、楽しさも数倍に膨れ上がることだろうと
思います。

この、横軸、時代軸で物を見ることが出来るようになること、これは世界史を学んで得ることの出来る大きな収穫です。
「歴史は繰り返す」ならば、この先の世界はどうなていくのか、政治、経済、環境、文化の行く末は・・
そんなことを考えるにも、ヒントとなってくれるでしょう。

そこから発展して、物事を多面的に考えることが出来るようになるのでは、と思います。
これは日本史にも共通しますが世界史はスケールが違います。
たとえば、ある地域で新たに帝政が始まり、ある人物が帝位についたとします。
これは歴史的事実として記載もされています。
ですが、その事実は受け取る人によって大きく見方が異なるものなのです。

皇帝自身はどう考えていたか・・
官僚はどうか・・
支配される民衆はどう思ったか・・・
商人にとってはどうだったか・・
隣国はどうか・・
同盟国はどうか・・
敵国にとってはどうか・・

というように、一つの事実が受け取る人によって大きく性格を変えることになるのです。

この多面的にものを考えることは、現代社会においても大切な要素であり、企業経営はじめ金融、政治、教育、行政、福祉など
さまざまな分野で必要とされていることではないでしょうか。


私が大学卒業後、旅行業界に入るきっかけになったある添乗員さんの言葉です。

「チャンスがあれば是非海外旅行に出かけて欲しい。人生観がかわるから」

学生時代にも大きな感銘を受けましたが、世界史を勉強するにつれてなお一層、この言葉の意味、重みがわかってきたような
気がしています。