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働くということを考える
人はなぜ働くのか、という哲学的な問答はおいておくとして、ほとんどの人が人生のうちに「働く」ということを経験します。
そのうち、多くの男性と最近増えつつある女性たちにとっては、人生のかなり長い期間を「働く」ことに費やします。
というわけで、どうせ働くならこんな風に考えて働きたいな、というのがこのコラムです。
何のために働くのかというのは人それぞれでしょうが、一人の人間でもその目的は年齢に応じて変化をしていきます。
もし、みなさんが30代、40代の方でしたら、ご自身の20代のころを思い起こしていただくと、そうだよなぁ〜と
納得できるのではないでしょうか。
ですので、その年齢、その時の考え方に応じた働き方をすることがとても大切です。
学生時代を卒業して社会に出たころは、私自身もそうでしたが、ほとんど何も考えていませんでした。
でも、今思うと、それでよかったんだと思います。
何のために働くのかはあまり意識せず、働くことそのものが目的になっている状態です。
大学に「○○の知識を得るために通っているんだ!」といえる人がごくまれで、多くの学生がとにかく授業があるから
大学へ行くというように、通うことそのものが目的(言い換えれば無目的)の学生生活を過ごしています。
その延長線上で、卒業した学校の代わりとなるのが就職先だった、という位置づけです。
もちろん、就職先を選ぶときには、「御社に入ったら△△をしてみたいです」などと「目的」をしゃべったりしますが、
一部の人を除いては、その言葉にはそれほど真剣味、真実味はありませんし、昨今の就職活動では、その点も
双方了解済みのような気もします。
私自身は、高校を卒業しようという時に自分のやりたいことがよくわからなかったために、とりあえず大学に行って
もう4年猶予をもらおう、という安易な考えで進学したのですが、その4年で自分の将来の道を見つけようと努力を
しなかったために、3年生のときのひらめきに似た確信で進路を決めてしまいました。
教育学部で先生を目指す、医学部で医者を目指す、法学部で司法試験合格を目指す、という明確な目標を
持った方は別として、多くの理系、文系諸氏は同じような経緯をお持ちかもしれません。
そのようにして就職した場合、いきなり「目的」を持てというのも難しい話です。
そこで私は、あえて無目的=働くことそのものが目的、でいいと思います。
倫理感はとても大切ですので、その許容枠の中であればとにかく働いて働いて働いてみるのです。
この時期にがむしゃらに働く経験をするのはとても大切だと思います。
休みがなかなか取れない、帰りも遅い、泊まりもあったりする、そんな無茶が出来るのもこの頃だけです。
この時にがむしゃらに頑張ることが、僕はあそこまで頑張れたんだという自信につながります。
働き始めて年月が経ってきたら、そろそろ働く基準を考えましょう。
がむしゃらに頑張り続けるだけの人であれば、それは組織にとってただの都合のいい人で終わってしまいます。
頑張りつづけるには何が必要か、自分は何を満たされたいのか、地位、収入、人脈、面白さ・・・自分にとっては
何が大切なのかを意識し始めたいものです。
その意識が、だんだんと自分の働く目的、自分のやりたいことを明確にすることにつながっていくのです。
30代に入る頃には、働いた結果自分がどうなりたいのかを明確に意識したいものです。
それによって、働き方やその組織の中で求めるものが変わってきます。
働いた結果どうなりたいかというのは、自分の人生をどうしたいのかということと同じです。
組織の中で10年近く働いてきて、自分の適性や得意分野、武器、その組織との相性、将来の可能性等々
見えてきた部分も多いはず。
それらを踏まえて考えてみましょう。
・この組織の中で昇りつめて社長になる!
・この組織の□□の分野で抜きん出た技術を身につける。そしてそこそこ出世もして退職金もがっぽりもらう
・まだ明確に定められないので、とりえずもう5年現状維持
と、今いる組織を活用するパターン。
・△△を自分の武器としてステップアップを考え始める
・将来は海外生活をしたいので、資産形成を始める。そのためには、○○に挑戦してみたい
・自分の会社を立ち上げて社会貢献がしたい。そのために準備を始める
と、外へ飛び出してチャレンジしていこうとするパターン。
その意識が出来始めたら、組織の中での立ち居振る舞いも変わってきます。
特に、外へ出て行こうと明確なプランがある場合、今の組織の中での仕事は、一つ一つの経験が血となり肉となり
貴重な財産になりうることを、さらにはっきりと理解できるでしょう。
全ての仕事は将来の自分へつながる、と意識できれば仕事のクオリティも上がりますし、いろんな形で
応援してくれる人も表れるでしょう。
組織の看板を外したときに応援してくれる人がいるかいないかというのは、特に外に出て行こうとする人には
大切な要件です。実際に看板が外れてみないとその評価もわかりませんが、自分の仕事に全力で取り組んでいれば
まず大丈夫です。
組織の中での成就を目指す人は、仕事の善し悪しに加えて、人間関係の構築という面倒くさい部分にも
気を配らないといけませんので、別なストレスに悩まされることもあるかもしれませんね。組織によっては、
仕事は2割で8割はそういった社内パワーゲームに時間を割かれるなんていう、悲劇的なところもあるでしょう。
でも、そこをうまく泳いで立ち回る才覚も必要です。
組織で仕事をしていると、とんでもないことにたくさん出くわします。
理不尽な残業や業務命令、人間的に問題があったり無能な上司、旧態依然とした社風、経営者・・・
そういうものに直面したときに、考えなしの一サラリーマンでしたら、居酒屋で愚痴をこぼしておしまいでしょう。
ところが、自分の先々を意識し始めることができた人は一味違います。
この愚かな上司は一時的なわずかな障害に過ぎない、と割り切れれば居酒屋ではなくスポーツクラブにでも
いくようになるでしょう。汗と共に流し去ってしまえばよいのです。
ちょっと論点が変わりますが、働く側にとって大きな影響力を持つ経営者について一言。
これは、たまたま読んだ宋文洲さんのコラムの受け売りなのですが、全く同感!と思ったことです。
会社によっては、サービス残業を強いるところがあります。
残業自体はしょうがないにしてもその対価を払わないということです。つまり従業員からすると無料奉仕。
ところが多くの日本企業では、このサービス残業を当たり前として行う風潮があります。
むしろ、より多くサービス残業した方が組織への貢献度が高いと評価されたりもしますし、
さっさと帰る人は「ヤル気がない」と烙印を押されもします。
冷静に考えると、これはかなりおかしな状態です。
長年その組織に根付いたおかしなやり方がそのまま仕組みとして残ってしまっているのですが、
管理職たちもそのおかしさに気付いていません。
おかしいと思った若い社員たちが、この組織ではなにも変えられないと見切りをつけて辞めていくわけです。
これは、残業せずに帰っていく社員が悪いのではなく、サービス残業させないと成り立たない企業経営をしている
トップの怠慢以外のなにものでもありません。経営者が従業員に甘えているもしくは搾取しているだけです。
この悪しき風習をもつ日本企業の対極にあるのが外資系企業です。
残業代の不払いなどやったら訴えられてしまいますので、公正明大にシステムを作っています。
それでも利益を出しているわけですから、サービス残業を強いる日本の経営者は単なる愚者と指摘されても
仕方がありません。
日本的な組織のよさと従業員の満足度を両立させるのは難しいかもしれませんが、私ならこうします。
事務職などいわゆるスタッフ業務の社員にはきちんと残業代を支給、ライン業務や管理職、営業職の人々は
年俸制にします。目標の達成具合によって自分の年俸が決まるわけですから労使双方が納得できます。
特に中小・零細企業など経営基盤の弱いところや親族・縁故などの人間関係に縛られている職場などでは、
厳格に残業代や年俸制を実施できないところも多いでしょう。その場合は、労使双方が納得して働ける環境を
作っていきたいというメッセージだけでも経営者は明らかにすべきです。
この考え方を推進していくと、働くスタイルというのも変化していきそうです。
すでにその傾向は世界中で始まっていますが、わざわざラッシュで何時間も通勤する必要のない在宅型、
もしくは個人営業型の人がもっともっと増加していくでしょう。
ソリスターと呼ばれる営業職、研究開発に携わる人、職人さんなどに向いているスタイルです。
アメリカの企業がインドのスタッフを雇いスカイプで業務連絡、というのも今や当たり前の時代です。
これからの時代の働き方というのは、ますます多様化してくるでしょう。
電車に揺られて通勤という人が一昔100だったとすれば、この先50程度まではさがり、その分在宅型、ネット活用型、
といったスタイルが増加してもおかしくありません。
そうするとかつての「企業戦士」という言葉も、だんだん廃れていきそうです。
仕事以外の多くのものを犠牲にして働く企業戦士たちは、今までのようにあまり威張れる時代ではなくなりました。
以前は、その働きっぷりを半分自慢げに話していた彼らも、今ではかわいそうな目で見られたりします。
私自身は「仕事が趣味」は悪いことだとは思いませんが、それは明確な目標があってそれに向かって進んでいるときの話です。
組織に都合よく使われているだけで、それを「戦士」だと勘違いしている働き蜂たちは、実にかわいそうです。
仕事以外の全てを犠牲にしてきた彼らが、退職して奥さんにいまさらながら奥さんや恋人としての役割を求めても、
拒絶されて離婚へと進むのはしょうがないことです。
働くことそのものが目的で始まった社会人第一歩から、働いた結果どうなりたいか、自分の人生をどうしていきたいか
ということをいつ真剣に意識し始めることが出来るかが、自分の働き方を考える上で最も大切なことだと思います。
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