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9.11に学ぶ危機管理(私の実体験に基づいています)
2001年9月11日、史上最悪のテロ事件が勃発。
この時、私は旅行会社の現地駐在スタッフとしてグアムに赴任中で、カスタマーサービスのアシスタントマネージャーという
いわゆる「クレーム・トラブル処理係」の職にありました。
東海岸で起こったテロは、全米、全世界に激震を与え、アメリカの準州という位置づけの辺境の楽園グアムでさえも、
その渦の中に巻き込まれていきました。
まさに究極の「私の職務」がやってきたわけです。
第一報
グアム時間の深夜12時前だったと記憶しています。
上司から携帯へ電話がかかってきました。
その日は少し早めにベッドに入っていた私は、寝ぼけながらも電話をとり上司の話を聞き始めました。
どうやら今晩は飲みのお誘いとは違って、緊急事態の様子。しかも、とんでもない事態が・・
ニューヨークで飛行機が貿易センタービルに突っ込むテロ、そして犠牲者多数。
現在、全米の空港が閉鎖。
話のスケールが大きすぎて、逆にピンとこなかったほどです。
テロによって多数の犠牲者が出たという事件そのものより、実は私にとっては「全米の空港が閉鎖」の方が大きな
インパクトがありました。
「全米」には、太平洋の果てにあるここグアムも、しっかり含まれていたからです。
急いで着替えて支度をして、車を飛ばしてオフィスに向かいました。
上司もすぐに到着し、当面の対処方針を話し合いました。
グアムという島国において、空港が閉鎖されるということは、外から来ることもできないですが帰ることもできない、
つまり隔離されたということになります。
グアム空港は24時間開港していて、日本とのフライトも深夜便、早朝便、昼間便と日に何十便もの離発着があります。
しかも、日本からグアムへビジネスでくるお客さんは極めて少なく、観光目的のリゾート便といえます。
そのほとんどが、いわゆる旅行会社のツアーで来るお客さん方で、一機のうち90%以上がツアー客という特殊な事情がありました。
私のいた旅行会社は、グアムでは力のある会社の一つで、業界の雄J○Bさんと肩を並べるほどです。
つまり、それだけ多くの滞在客を抱えてしまっていたわけです。
日本からやってくる飛行機は引き返せば、それでおしまいです。
あとは日本側が処理をしてくれるでしょう。
私たちの取り組まなくてはいけない問題は、島にとり残された2000名以上のお客さんをいったいどうするか、ということに尽きたのです。
身震いするような事態ですが、スピード感を持って対応をしなければいけません。
まずは、日本からの出向者全員とグループセクションスタッフに緊急招集をかけました。
たいがい、いつもイレギュラーが起こるとそのフォローはグループセクションで行っていたのですが、
今回は相当数の日本人スタッフを確保する必要があったために、出向者全員を招集です。
ねぼけ顔で事情がまだ飲み込めていない役者がそろったところで、深夜のブリーフィング開始です。
怒涛の日々
この時の私の上司は大変に理解のある方で、尊敬もしていました。
現場一切は私に任せて、上司自身はグアムの航空会社等との渉外窓口として奮闘してくれました。
日英完璧に話す上司(アメリカ国籍)にしかなせない技だったと思います。
まずすべきことは、何時間後かのフライトで帰国をするはずのお客さんに、事情を説明してホテルで待機をして
もらうよう連絡をいれることでした。
中には、ニュースでテロのことを知ったお客さんも出てくるでしょうし、そうすると問い合わせが殺到し対応が後手後手に
まわってしまい収拾がつかなくなります。
この時点でのポイントは、お客さんが騒ぎ出すその前に、こちらから連絡を入れて冷静な対応を呼びかけることでした。
リストを出して、日本人スタッフで手分けして電話を入れ始めます。
別なチームがバス会社、ホテルに連絡を入れます。
特にホテルは、滞在が長引いた場合の宿泊料金の取扱について打診をします。
通常、このようなホテル側の都合でない宿泊延長の場合(テロや台風でフライトが飛ばないとしても)、ホテルは
割安料金でお部屋を提供してくれます。
お客さんにしてみれば、自分の希望でこうなったわけではないのに、お金を払ってホテルに釘付けにされることになり、
ふんだりけったりということになりますが、これがルールです。
(こういった不測の事態の出費をカバーするために海外旅行傷害保険がありますので、やはり加入は大切です)
朝を迎えても事態に変化はありません。つまり、空港は閉鎖されたままです。
今度は、昼間の便で帰国予定だった人への連絡を始めなければいけません。
同時に、早朝のフライトで帰国予定だった人にも、再度連絡を入れて宿泊延長をどうするか決断してもらわないといけません。
同じホテルの同じ部屋に滞在できるのがベストですが、手持ちのお金がない方は、より安いホテルへ移動したいという
希望がでてくることがあるからです。
全ホテルの空き状況、特別料金を調べてもらい、個別にお客さんに相談していきます。
事態は一向に動かず、お客さんのイライラ、心配も募ります。当然です。
中には、ツアーデスクのスタッフにあたりちらすお客さんもいます。
彼女たちにもどうすることもできないので、全くかわいそうな話なのですが、お客さんのはけ口も旅行会社しか
ないのは確かです。我々が出来るのは、正確な情報提供を迅速にし続けることでした。
深夜になっても事態はかわりません。
今度は翌早朝帰国予定のお客さんへの連絡です。やはりホテルにい続けてもらうしか手がないのです。
こうやってまさに雪だるま式に帰国できないお客さんが増えていき、数日続いた空港閉鎖でなんとその数2000名に
達しています。
日々お客さんへの連絡と今後の見通しについて連絡をいれながら、情報収集をつづけ、空港再開の折には、なんとしても
いち早くお客さんを帰国させなくてはいけません。
お客さんにもいろんな事情があります。
皆さん、どうしようもないとはわかりながら、今度は「空港が再開したら一番に帰してくれ」という要求があちこちで
出てきました。これも当然の話です。ですが、全部を聞けるわけもなく、それでも執拗にスタッフに言い募るお客さんもいます。
再開したらしたで、「どうして俺はまだ帰れないんだ!」という声で混乱するのは目に見えていました。
状況はさらに悪くなり、私たちはどんどん追い詰められていったのです。
帰国へ向けて
上司経由で、空港再開の目処が伝えられました。
あくまでさまざまな情報を独自に分析した結果の予想ではありますが、一縷の光が見えてきたのです。
ですが、ここでも問題があります。
空港がオープンしたあとのフライトはいったいどうなるのでしょう。
当時グアムには、日本航空、ノースウエスト航空、コンチネンタル航空の3社が就航していました。
中でもコンチネンタル航空は日本各地へ就航しており一番便数も多いのですが、グアムでコントロールしていましたので
交渉はしやすい面もあります。
空港再開後、どの航空会社がどこ行きのフライトから順番に飛ばすか、これは旅行会社各社の予想が分かれる
ところでした。
各社、情報分析をしながら再開一番機に自社のお客さんを一人でも多く乗せようと躍起です。
コンチの機材が何機グアム空港にあるとかかなり細かいところまで、日本側を巻き込んでの情報収集が続きます。
帰国便の大原則はこうです。
まず、元々そのフライトの予約が入っているお客さんが最優先。余った席に、前から帰国できないでいるお客さんを
順に押し込んでいくわけです。
一人のお客さんでいくつものフライトに予約を入れなおすことは出来ないので、旅行会社が判断してあるフライトに
予約をしなおすわけです。そのフライトがやはり飛ばなければ、再度また違う便を取り直します。
例えば、9月11日に帰国予定のお客さんが、15日の便で予約を入れなおしたとします。
ところが15日も結局飛ばなかったら次の予約を入れなおすのですが、その時点では16日も17日もいっぱいで、
18日のフライトになってしまう、ということがあるわけです。
つまり、旅行会社の情報分析力如何でずいぶん影響を受けるというわけです。
結論から言いますと、私たちはこの情報収集合戦をうまく制することができました。
再開後の一番機と見込んだフライトが、無事に飛んでくれました。その後も順にお客さんを乗せ続けることが出来ました。
コンチネンタル航空は日本各地へ向けてフライトを飛ばしはじめました。
日本航空は、東京、大阪からレスキューフライトをもってきました。帰国できずにいるお客さんをごっそり連れ帰るためです。
レスキューフライトは航空会社にとってはかなりのコスト負担です。その英断をやってのけた日本航空には頭が下がりましたし、
グアム空港にタッチダウンしたときには、まさに涙が出る思いでした。日本航空かっこよかった・・
一方でノースウエスト航空の対応は後手後手でした。結局、他航空会社への振り替えを無理やり認めさせて、
なんとか帰国していただくことができました。
最後のお客さんが無事帰国できたのは、予定より1週間も足止めをされた後になりました。テロからは10日を過ぎた頃だったと
思います。その頃には、日本からのフライトも軌道に乗ってきまして、テロなんか関係ないという強気な少数のお客さんが
グアムへやってきてくれるようになりました。
こうして長い戦いはようやく終わりを告げたのです。
危機管理として学んだこと
気付けば4日間不眠で対応に明け暮れました。
人間ここまでできるんだという妙な感慨にふけったものです。あの年齢(31歳)だから出来たことだったのかもしれません。
今回の対応で危機管理の際に大切だなぁと思ったことがいくつかあります。
1.情報収集能力とその情報をもとにした判断力
基本ですね。情報が集まらないことには判断のしようもないです。日ごろからのパイプ作りがものをいいます。
2.対応する側の指揮命令系統と役割分担
各人に役割をしっかり認識してもらうことです。困ったらだれにどうやって尋ねればいいか明確にしましょう。
今回は、指揮官である私は完全に指揮のみで最前線には立ちませんでした。そしてホットラインを設け、常に
バックアップできるような体制を整えました。
3.交渉力
私の上司や現地スタッフの交渉力には頭の下がる思いでした。
4.迅速な対応
情報がない→お客さんが怒る→その対応で肝心な情報収集に手が回らない、という悪循環をおこさないためには、
先手必勝です。常に先々を読んで行動をシュミレーションします。
5.情報の管理(広報やコミュニケーション)
集まった情報をまずはスタッフ間でどう共有し、お客さんへどう伝えるかを明確にします。
お客さんの方が先に重大な情報を知っているようでは、スタッフの士気も落ちますし、当然対応も後手に回ります。
今回は、あまりに重大な局面ということでスタッフが一致団結できたのも、うまく対応できた大きな要因でした。
全員で乗り切ったという自信が、その後の仕事に大いにプラスの効果をもたらしたことは疑いありません。
私の人生において、もう二度とないであろう貴重な経験だったと思います。
これを乗り切れたおかげで、多少の困難には動じなくなりましたし、冷静でいることの大切さも実感しました。
ただ、現実には、このテロのあと、グアムの観光業は壊滅的な打撃をうけることになり、大規模なリストラに
取り組まざるを得ないというつらい現実も待っていました。
私の会社のみならず、旅行産業に携わる多くの会社で、同様の事態が続いていきました。
私の知っている方々の中でも、無念ながら会社を去っていった方が少なからずいます。
そういった意味でも、テロの後遺症はあまりに大きく、直接の被害者であったアメリカ人とはまた違う意味合いで、
テロに対する特別な思いを抱き続けています。
翻弄された一人として、せめてこういった教訓を学び、何かの機会に生かせるようにできたらと思います。
また、これを読んでいただいた方にも、なにがしかのヒントを感じてもらえれば幸いです。
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